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フレンチデザインの誕生 −18世紀、リヨンシルクとトワールドジュイの流行–

18世紀は、絶対王政と華やかな宮廷を背景に、フランス文化が大きく花開いた時代です。紀元前に中国ではじめて生産された「絹」は、東方貿易に積極的だったイタリアを経てヨーロッパにもたらされた非常に高価な織物で、王侯貴族や豪商など特権階級の住居や衣装には欠かせない贅沢品でした。フランスで国内生産が始まったのは16世紀に入ってからですが、その品質が東洋やイタリア産の絹に追いつくには100年以上かかったとされています。

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1725年、トロワの描いたこの絵画の中には、典型的なロココ様式の部屋の中で男性から愛の告白を受ける女性の姿が描かれています。女性の着ているドレスは光沢のある絹、羽のようにも見えるパターン化された柄が、まるで踊っているかのように散っています。女性がよりかかるクッションはドレスとはまったく異なる質感の布で、柄も対照的です。枠の内側と外側に連続的に繰り返される赤い小花、ぎざぎざした葉を持つ植物は東洋のものでしょうか。実はこの2種類の布、フランスのファッション、装飾美術の歴史の中で大きな役割を果たしています。

リヨンシルクを身にまとったマダム・ポンパドゥール

1756年、ブーシェの描いたマダム・ポンパドゥール。トレンドセッターであった夫人の肖像画には、衣装はもちろん、家具や小物の一つ一つに、その時代の嗜好がよく描きこまれています。夫人はリボン、レース、小花が散りばめられた絹のドレスでを纏い、トロワの描いた女性と同じようなポーズでクッションによりかかっているのがわかります。クッションの布は東インド会社がフランスに持ち込んだインド更紗、あるいはアルザス近郊のミュルーズで生産されたものでしょうか。よくみると夫人の後ろ、絹のカーテンの横にも違う柄のクッションの一部が見えています。ルイ14世が絹織物産業に打撃となることを恐れて「プリント木綿の輸入・国内生産禁止令」を発したのが1686年。しかしこの法律はまったく効果がなかったばかりか、プリント木綿生産技術に関して諸外国から大きく遅れをとる要因となり、この肖像画が描かれた3年後に撤廃されました。

イタリアの絹織物を身にまとうフランソワ1世。

時代は少し前に戻り、1525年、ジャン・クールエが描いたフランソワ1世の肖像。彼が身につけている豪奢な衣服はイタリアから取り寄せたものでしょう。肩のあたりに施されたアラベスク模様が、フォンテンブロー宮殿のために呼び寄せられたイタリア、フィレンチェの装飾家、フランチェスコ・ディ・ペルグリノのデザインに酷似していることが指摘されています。15,16世紀頃までは文化的にも経済的にもイタリアに及ばなかったフランスは、多くの芸術、技術を、その最先端にいる芸術家や職人を呼び寄せて優遇することによりフランスに移植させようと試みました。フランソワ一世(プルミエ)は、かのレオナルド・ダ・ヴィンチの庇護者としても知られるフレンチ・ルネッサンスの開始者ですが、彼の情熱がリヨンを絹の街にしたことでも知られています。外国人の絹職人に対する免税や、ジェノバの職工を招いて織機の設置を許可するなど、リヨン市を絹織物産業の集積地と定めました。こうして王様というパトロンと、安定した生産基盤を得て、リヨンの絹織物産業は発展していきます。

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1756年、ルイ14世治世下の大臣コルベールが、リヨンの絹に対して品質基準を設定し、同業者組合ができました。このコルベールという人は、東インド会社を設立し、コルベリズムというフランスの植民地政策、フランス市場開拓を果たしたことでも知られています。技術や品質が高まると、図案も凝ったものが実現されるようになります。図案学校が設立され、デザインの専門家が育成されました。ジャン・ルヴェルというデザイナーは、カートン(碁盤のように線の入った紙)の下絵や彼の作品とされるナイトガウンを纏った男性の肖像画などによって、その活躍が記録に残されています。デザインが付加価値を生み、高く売買されるようになった絹織物はデザイナーに多くの富をもたらしました。晩年リヨンの名士、ブルジョワジーとして裕福な生活を送るようになった彼の肖像画もまた貴重な資料としてリヨン布装飾美術館に所蔵されています。

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リヨンの黄金期、フランスの絹織物において、花は大胆に宙を舞い、花や植物、果物といった柄の上に金糸、銀糸、刺繍を重ねてさらなる豪華さを競う独特のデザインが生まれました。ヴァン・ローが描いたこの男性は、まさにそうしたフレンチデザインの衣装(ナイトガウン)を身につけています。肖像画の中の絹衣装をデザインしたジャン・ルヴェルは、花や植物だけでなく、ロココ期のシノワズリも数多くデザインしていますが、シノワズリはフレンチデザインの中で確固たるジャンルを作り、プリント木綿の世界にもそのまま引き継がれていきます。フランス革命が勃発して王家という擁護者を失ったリヨンの絹織物産業は一時その勢いを失いますが、19世紀に入ってジャカール織機が発明され、パンチカードによる大量生産が可能になるとまた息を吹き返し、19世紀半ばには2200トンもの生産を記録しました。
このように、絹織物産業がフランスの伝統産業として確立されるまでには、幾つもの条件、すなわち「権力者の擁護」「生産地の特定と組織化」「大量生産を可能にする技術と機械の発明」が必須でした。これはその後、布市場の流行が、「絹」から「木綿」に移っても同じです。

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1664年、フランスで東インド会社が設立され、インド更紗がフランスにも輸入されました。
その色鮮やかさ、軽くてしなやなかな風合いで、異国のプリント木綿は爆発的に流行し、皮肉にも国内産業として隆盛を誇っていた絹織物に大打撃を与えます。そのためルイ14世はプリント木綿の密輸・国内生産禁止令を発令するほどでした。この間、フランスの捺染技術は隣国、英国などに大いに遅れをとりましたが、1760年、パリ郊外、ジュイ・ジュサスに木綿のプリント工場が設立され、フランス独自のプリントデザインが数多く生み出されます。これが「トワールドジュイ」の始まりです。

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トワールとは、フランス語で大きな面を持つ布のことで、ジュイは地名です。つまり「ジュイで生産された布」という意味ですが、このプリント木綿がなぜ今に至ってもフランスを代表するデザインとなり人気を保っているのでしょうか?その秘密は、優れた画家の手による下絵にあります。

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トワールドジュイ工場を作ったオーベルカンフは、もともとドイツの生まれで、プリント工場のあるミュルーズで銅板彫りや染色の技術を学んだ後、10代の若さでパリに移住しました。商才にもたけた彼は、生産禁止令が撤廃された翌年、1759年にジュイ・ジュサスに工場を設立、英国で発明された銅板プリントをフランスではじめて導入しました。ローラーを使うことで大きな図柄が連続的に、しかも大量に印刷できるようになったため、それに合った図柄、つまり風景画をデザインとして取り入れる発想も彼の斬新な試みでした。下絵となったのは、当代随一の人気画家、ブシェやフラゴナール、ユーベル・ロベールなどでしたが、中でもジャン・バティスト・ユエによって描かれた多くの作品は、トワール・ド・ジュイを代表するデザインとして広く市場に出回りました。

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絹織物の世界では、花、植物、それらのパターン化された伝統モチーフ(豊穣を表すザクロ紋など)などが主流であったに対し、プリント技術を駆使したトワール・ド・ジュイでは、物語性のある図案がモノクロームの世界で繰り広げられたので、当時の人の眼には斬新で全く新しいデザインとしてとても魅力的に映ったのでしょう。風景だけでなく、登場人物が表情豊かに語りかけることで、想像上の、あるいは遠い場所で起きた出来事が手に取るように見てとれる図案は、新聞のようなメディアが一般に普及していない時代では、まさに一枚のデザインプリントが人々が情報を共有できる媒体ともなりえたのでした。トワール・ド・ジュイのプリント図柄には幾つかのパターンがあり、インド更紗や絹織物の図案を踏襲した「花模様」、ブシェなどの絵画を元絵とした「田園風景模様」、ポンペイ遺跡をテーマにした「新古典主義と寓意」、「ポールとヴィルジーナ」といった「物語、戯曲」を絵柄にしたもの、気球船やアメリカの独立「記念行事や社会的出来事」をテーマにした図案などがあります。シノワズリと呼ばれる異国情緒溢れる図案も変わらず人気でした。

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このようにして、銅板プリントで製作された大柄の柄のプリント木綿は、カーテンや家具などインテリアに大量に用いられ、主に上流階級層に広まり、ブロックプリントで製作された小花模様の布は、主に衣服(特に夏服)用の安価な素材として、主に労働者階級に普及していきます。ヴェルサイユから近いという地の利もあって、宮廷からの注文が絶えず、1783年にはルイ16世からフランス王立工場の称号を授与されます。

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銅板ローラーによる大量生産を実現させたトワールドジュイ工場は一時は労働者数1300人を超え、ヨーロッパ最大の工場となりました。その功績でオーベルカンフはナポレオンからレジョン・ド・ヌール勲章を授与されています。残念ながら、オーベルカンフの死後、経営難に陥った工場は閉鎖され、建物は現在美術館として残されています。工場に所属していたデザインは生地サンプルとしてだけでなく、なんと銅板プリントのローラーもそのままの形で、同業者に買い取られ、デザインとともに貴重な歴史的資料として現代に引き継がれているそうです。

市場の要請によって多くのファブリックメーカーが生まれ、またその得意分野も細分化されていきます。王室や富裕層を顧客に持つメゾンはその豊かなアーカイブ(過去の図案コレクション)を大切に保管所蔵し、毎年その中から数点を選び出してを加え新たなデザインとして発表することにより、そのブランド力を高めています。私たち一般の愛好家が、こうした伝統産業の最盛期(18世紀から19世紀)の、状態の良い古布を入手することは非常に困難ですが、大手ファブリックメーカーが復刻したデザインファブリックを通じてその時代の息吹や芸術性を辿ることは十分に可能です。

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フランスを代表する大手ファブリックメーカー、ピエール・フレイ

Pierre Freyは、1935年に初代ピエール・フレイ氏が創立したファミリー・カンパニーですが、そのメゾン創業80周年を記念し、現在パリの装飾美術館で、その膨大なプリントデザインの代表作を約200点を披露する展覧会が開催されています。展覧会では一般のパリジャンがとても熱心に柄見本に見入る様子があちこちで見られ、市民のインテリア・装飾美術に対する関心の深さが伺えます。また同社のウェブサイトは最近大きくリニュアールされ、同ブランドの歴史だけでなく、工場の様子やどのようにデザインが生み出されるかという過程まで数多くの動画で辿れるようになっていて大変興味深い情報サイトです。

◎ 同美術館で同時開催されている「壁紙」の展示会では40万点にも昇る美術館所蔵のものから200点を選び出したそうで、二つ合わせて鑑賞することで、フランスの装飾美術のデザイン・意匠を一気に鑑賞することができます。

日本での展覧会情報:

今年2016年6月14日ー7月31日、東京渋谷のbunkamuraミュージアムで、 『西洋更紗トワル・ド・ジュイ展』が開催されるそうです。

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